研究テーマ(その1)

放射線照射によるDNA損傷の修復機構の解明

DNAはシトシン(C)、グアニン(G)、アデニン(A)、チミン(T)の塩基を構成要素とする一本鎖が対をなした 2重らせん構造をした物質で、生物にとっては遺伝情報を細胞から細胞へ、親から子へと正確に伝え維持する 最も基本的な遺伝物質です。
   しかし、DNAは放射線照射などで生じる活性化酸素によって酸化される危険に常にさらされています。 中でもグアニンの8位が酸化された8-オキソグアニン(8-oxoG)(図1)は 強力な突然変異作用を持っていることで知られています。
   そこで今回は、最近私が計算しましたオキソグアニンを含んだ12塩基対の8-オキソグアニンDNA、 d(C1G2C3(8-oxoG)4A5A6T7T8C9G10C11G12)d(C13G14C15G16A17A18T19T20C21G22C23G24) の分子動力学シミュレーションについて説明します。
   分子動力学シミュレーションでは、原子間のポテンシャルにもとづいて個々の原子に働く相互作用を計算し、 ニュートンの運動方程式を解くことで分子運動を追跡します。 分子動力学シミュレーションでは遠距離相互作用であるクーロン力を求めるのに最も計算時間がかかります。 さらにDNAのような大きな電荷を持つ系では、クーロン力の計算に高い精度が要求されるため計算には工夫が必要です。 そこで並列処理アプリケーション用メッセージパッシングライブラリ(MPI)を用いて、 クーロン力を高速かつ高精度に計算できる高速多重局子展開法(FMM)を開発しました。
   この並列FMMを本分子動力学シミュレーションで用いた結果、8-オキソグアニンDNAは全体としては構造を安定 に保ちつつ(図2)、8-オキソグアニン部位付近では特有の歪み構造を形成することがわかりました(図3)。 また8-オキソグアニン部位付近の水和構造がDNA構造安定に大きく寄与していることもわかりました。
   現在は超並列計算機上で大規模系の分子動力学シミュレーションを可能とするコードを開発しています。 将来はこれを用いて、損傷DNAと修復酵素の複合体で分子動力学シミュレーションを実行し、 損傷DNAの修復酵素による認識機構を解明したいと思っています。

図1:8-オキソグアニン。正常なグアニンではO8の酸素は水素であり、H7は存在しない。



図2:分子動力学シミュレーションにおける8-オキソグアニンDNAの瞬間構造。
赤は酸素、黄色はリン、青は窒素、灰色は炭素、白は水素を示す。緑は8-オキソグアニンのO8を示す。



図3:8-オキソグアニンDNAにおける塩基対、C3:G22 (黄色)、(8-oxoG)4:C21 (赤)、A5:T20(青)の位置関係。 図2のDNAを真上から見た方向で表示した。 C3:G22 と (8-oxoG)4:C21の配向、(8-oxoG)4:C21 とA5:T20の配向に大きな歪みが見られる。



研究テーマ(その2)

大規模並列分子動力学シミュレーション法の開発

高速多重極子展開法(FMM)とマルチ時間ステップ法(MTS)を用いた損傷DNAの分子動力学   核酸や蛋白質のような強い静電相互作用を持つ生体高分子の分子動力学シミュレーションには、高速かつ高精度なアルゴリズムが不可欠である。
  今回、静電相互作用を能率的に取り扱いながら時間ステップを増大することを可能とするため、高速多重極子展開法(FMM)とマルチ時間ステップ法(MTS)を併用するアルゴリズムを構築した。
  FMMは計算領域をツリー階層的なセルに分割し、粒子に働く静電相互作用を高速かつ高精度に計算するために近傍セルにある粒子からのものは厳密計算をし、遠方セルにある粒子からのものは有限次の多重極子展開で近似する。更にこのFMMは大規模なシミュレーションを取り扱えるように空間分割法を用いて並列化されている。
  マルチ時間ステップ法(MTS)には、力学系における正準変換に対応するシンプレクチック条件を満たす数値積分法を用いたシンプレクチック数値積分法(SI法)を用いた。これにより位相空間の体積が厳密に保存されるので長時間シミュレーションに適当である。そしてFMMの近傍セルと遠方セルからのポテンシャル演算子を SI法により分割し、MTS法に適用できるようにした。
  今回、このアルゴリズムを分子動力学ソフトPRESTO に組み込み、放射線照射により生成される 7,8-dihydro-8-oxoguanine DNA(dodecamerの損傷DNA1個、Naイオン22個、水5538個のdroplet、熱浴の質量:10(kJ/mol)(ps)2)の系に対して温度一定MDを300Kのもとで実行し、この手法の性能検証をした。なお、7,8-dihydro-8-oxoguanineの力場ポテンシャルは量子化学計算ソフトGaussian94、基底関数HF6-31G*を用いて AMBERポテンシャルに適合するように作った。
  結果は、ツリー階層3、展開次数6(6次モーメントまで)の FMM、4次のSI法で近傍時間ステップ1.67fs、遠方時間ステップ6.67fs のMTSで計算能率が良いことがわかった。

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